最期の準備

祖父が救急車で病院に運ばれたのは、連休前の金曜日だった。
色々、思うところもあるので、備忘録として、少し残しておきたいと思う。

娘は、私の実家に帰ると、まず曾おじいちゃんのベッドに向かって走って行って、
「おじいちゃん、きたよ~」
と言うのが習慣だった。

入院後、実家に行くと、
「おおじいちゃんなんでいないの~?」とか「どこいっちゃったの~?」とか
きくので、おじいちゃん(私の父)はうるうるしている。

おじいちゃんが肺がん、の宣告を受けたのは今年の5月だった。娘の誕生日の直前だったと思う。

まあ、歳が歳なので(92歳)あちらこちら弱っていて薬はたくさん飲んでいたけれども、それまでは割りと自分のことは自分でできていた。
娘の生まれたときには、「曾孫が20歳になるまでがんばらにゃいかん。」とか言っちゃって、みんなにいくつまで生きる気だ、とつっこまれていた。
去年は、かなり外に出ることは億劫になっていたけれども、娘が散歩に誘えば、一緒に行ってくれたりもしていた。

宣告を受けてから、本当にあっという間に弱ってきた。
この年齢でも、こんなに早くがんが進行していくってことも、あるんだな。

先々週の金曜日に救急車で運ばれたときには、呼吸停止で、意識もなかったらしい。
病院に運ばれて、ドクターが、「今晩は危ないかも…」と言うことだったので、親戚中に連絡が行った。

その後、意識も取り戻して、一昨日まではしっかり話ができていた。
その間、おじいちゃんの病室はいつもたくさん人が来ていてにぎやかだった。
毎日見舞い客が7人も8人も来ていた。

昨日は、なんだかおかしかった。
ちゃんとしているようで、半分夢の中。
夢の現実との区別がだんだんつかなくなってきている感じだった。
今日は、行って声をかけても、目を開けるだけだった。

あさってから、ホスピスに入れることが決まっている。
ホスピスの平均滞在日数は、50日ほどだそうだ。
ってことは、それくらいが余命なんだ……なんて、ぼんやりと考えていた。
でも、今日の様子では、移動が難しいかも。

実家では、着々とその最期の準備が進められている。

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